
アロハ!
ついに、このハワイ島旅行記も最後のMokuへ皆さんをお連れします
最後はKohalaです
私のハワイ島での勉強のハイライトです
今回はそこで学んだ知識について真面目に書いてみたいと思います
ハワイ島の北西にあるこのKohala地区はカメハメハ1世にゆかりのある地域です
カメハメハ1世とはハワイ諸島を初めて統一した王です。
沢山のアリィ(王様)がMokuごとにいる中、カメハメハ1世は戦いながら、まずはハワイ島を治めていくことになります
ハワイ島を治めながら、海の向こうのマウイ島やモロカイ島なんかにも戦いで進出してきます
カメハメハ1世が存命なうちはハワイは独立国家として認められ、諸外国も攻めてこなかったと言われています
カメハメハ1世の時代、そしてその前からあるHeiauがたくさんあります
Heiauとは日本でいう寺院とか神社といった場所になります
カメハメハ1世が作ったヘイアウはKū(クー、戦いの神)にハワイ統一を願って作られました
Kona地区から車で北を目指して海岸線を走ります
右手には雄大なHualalaiの山が広がります
裾野がひろくて、緩やかに上っているこの山は現在休火山です
そういえば、ハワイ島にある主な火山5つご存知ですか?
①Mauna Kea(休火山)
②Mauna Loa(活火山)
③Hualalai(休火山)
④Kīlauea(活火山)
⑤Kohala(死火山)
地質学的に火山のお話をすると、地殻の下のマグマがホットスポットと呼ばれる裂け目を通って上昇し、島々ができます
地殻の上の太平洋プレートが移動すると、ホットスポットの上で流れ作業のように火山が作られては北西に移動していきます
このようにして火山が作られます
4千年前に火山噴火でできたミッドウェー島は太平洋プレートによって元の場所から3500km以上も遠くに運びました
プナ地区の東のには、海底火山Loihiがもう形成されています。
それが島として現れるのは1万年後ですが・・・今から楽しみですね♪(^▽^;)
今回ハワイ島に来てからすぐ取り掛かったのはOliを覚えること
それはカメハメハ1世の出生にまつわるもので、長さは約1分半・・・長い・・・( ノД`)
今年のミスアロハフラでハワイ語賞を受賞したBrylynのカヒコの前に唱えていたものと同じものです
(節回しは少し違いますが、ハワイ島に代々伝わっているものです。カメハメハスクールに通ってる学生さんも習うオリと同じです)
着きました~
Pu’ukoholā Heiau National Histric Site
さすがハワイ島の北西、日差しがとても強くて暑いです!
Pu‘uとは「丘」とか「集まり」という意味
Koholāとは「くじら」の意味があります
カメハメハ1世が作ったこのヘイアウは海沿いにあります
くじらがこの近くの海に現れたからでしょうか?
もう少し深い意味がありそうです
くじらの活動領域は海の表面(明)、そして深海にあるイカを食べるために海の深いところ(暗)まで潜ります
昔の人は、くじらを今の生きている世界と死後の世界を行き来できる神聖な動物と信じていたようです
ここのヘイアウはカメハメハ1世が1790年代の初めに建てたヘイアウです
何のために作られたヘイアウかと申しますと、Kūkā‘ilimokuつまりKū(戦いの神)に戦いに勝つための祈願をしたものでいわゆるHuman sacrifice(人身御供)が行われていました。Kūの好物は人のManaというわけです
沢山の石が積み上げられて作られていますが、この石は14マイル(22.4km)離れたPololū Valleyより、人から人の手で手渡しで運ばれました。1つ1つ、一度も地面に触ることなくです
もし誰かがその石を運んでいる最中に落としたり、地面に置いたりしたら、それはもとの位置までまた人海戦術で戻されたようです!!Σ(゚Д゚;
こうして、人々は1年もかからずにこのヘイアウの石を運んだそうです
これは後に兵士として戦うための肉体作りをするためだったともいわれています
(カメハメハ王、賢い!!です)
ここのヘイアウはすごくキレイに整備されていて、ちょっとした資料館にもなっています
昔のハワイにはきちんとした身分制度があったようです
Ali`i(王族)からKauā(奴隷)までのカースト制のようなピラミッドの図
カメハメハの生い立ち、治世、諸外国との関係を示した案内図
そして、ここで一番有名なお話しを
このヘイアウのオープニングセレモニーにはカメハメハのいとこでもあり、ライバルであるKeōua(Ka‘ū地区のアリィ)が呼ばれていました。ハワイ島の統治をめぐる争いで残った2人のうちの一人でもあります
(ちなみにカメハメハ1世の父も同じ名前Keōuaですので混同のないように)
当時、Kūに捧げる一番最適で力が強いManaは身分の高いアリィのものであると信じられていました
カメハメハがここに彼を呼んだのは、その彼自身を捧げもの(いけにえ)にしようという意図があったともいわれています
実はこんなエピソードが残っています
Ka‘ū地区のアリィであるKeōuaは多くの軍隊を連れていましたが、その一行がKīlaueaの火口を通り過ぎようとした時、なんと、火山が噴火し地震が起きてたくさんの兵隊を失ってしまいます
この災難でひどく動揺したKeouaは自分が火の女神Peleに嫌われていると確信します
・・・当時のPeleへの信仰の深さというのはすごかったということがこのエピソードからわかりますね!
Keouaはカメハメハ王がこのPu‘ukoholā Heiauのオープニングセレモニーに自分を呼んだ理由を事前にわかっていたといわれています
Peleに嫌われた自分がこのハワイ島の統治者としてふさわしくないと考えて彼はカメハメハにわざと殺されに行ったのか、またはもうヤケクソ半分でカメハメハに戦いを挑もうとしていたのか?・・・
彼はこのセレモニーに行く途中、マロ(ふんどし)で隠れる自分の身体の一部を自ら傷つけたと言われています
いけにえになるためには、その身体は完全なものでなければいけないという考えがあり、傷ひとつつけていてはいけないと考えられていました
それは、いとこでありライバルのカメハメハにハワイ島を統一させないための最後の抵抗だったともいわれています
このヘイアウが立っているKawaihae湾にKeōuaは船で到着します
カヌーの漕ぎ手やチーフなど沢山の人々を伴って・・・。彼は皆に死を共にする覚悟を持つようにと説明します
彼がカヌーから降りた時、コナのチーフであったKe‘eaumokuが突然槍を投げてそれが引き金となって戦いが始まりました
こうしてKeōua一行はカメハメハとの戦いに敗れ、Kūのいけにえとなり、カメハメハは無事にハワイ島を統一することができたと言われています
こうしてカメハメハはハワイ諸島を統一するために戦いますが、戦いで統一できたのはハワイ諸島のうちの、マウイ、モロカイ、ラナイ、オアフ島まででした。
カウアイ島には何度か兵士を送り征服しようとしますが、悪天候によって阻止されたりして武力による統一は叶いません
結局はカウアイ島、ニイハウ島の2つの島は話し合いでハワイ王国の一部となるという合意に達することになりました
これはまさにKeōuaの呪いが成就したということでしょうか
実はこのKamehamehaとKeōuaの間の確執は後世にも残されていて、Kohala地方の人々とKa‘ū地方の人々はあまり仲が良くないそうです
実際Ka‘ū地方の子供たちはカメハメハスクールに行かないそうですよ!(・_・;)
このPu‘ukoholā Heiauは海のそばの丘の上に建ち、すぐ西隣にはMailekini Heiau(訳:多くのマイレのつる)もあります
こちらはこのPu‘ukoholā Heiauよりも古くからあり、戦いや農業の為のヘイアウであったとされています
Luakini(人身御供)のヘイアウではありませんが、時代が古く、あまり詳しいことは分かっていないようです。
縦に細長いこのヘイアウ、特に目立たたなかったのでその存在に気が付きませんでした
下の看板は見たけど・・・(・_・;)
もう一つ、Hale o Kapuniというヘイアウも近くの海辺にあります
Pu`ukoholāのヘイアウの近くまで行ってみましょう
もっと近づいてみると・・・
入り口にKapu Barが立っているのが見えますか?(クロスしてある木の棒の先に白い布が被せてあります)
「ここから先はKapuである」
つまり立ち入り禁止。
昔のハワイにはよく入ってはいけない場所にこのKapu Barが立ててありました
このヘイアウの目の前で、カメハメハ1世の生誕にまつわるながーいオリを唱えます(*_*;。
ハワイでオリを唱える時は4方向をすべての方向に向いてとなえます。
もうめちゃくちゃ暑いです・・・(・_・;)
さてさて、次はカメハメハ1世にまつわるヘイアウをもう少し・・・と思いましたが長くなりそうなので次回に持ち越しです
Mahalo!
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