(North Kohala Kokoikiにて美しい海が広がりいつ見ても心を打たれます)
アロハ!
さて、私たちはPu‘u Koholā Heiauを後にし、いよいよカメハメハ1世が生まれた場所に行きます
今回は特別にヘイアウの中も一部写真付きで公開させていただきます
カメハメハ1世(最初につけられた名前はPai`ea)の出生のエピソードを。
先天性の底知れぬパワーを秘め国を統治するような偉大な人物が生まれる時には、何かの自然現象が起こると古くからの言い伝えがあります
実際、当時の王である側近のカフナ(現代で言う占い師、祈祷師)たちはPai`eaの誕生を予言していました。
きっと将来、自分たちの王の地位を脅かす存在となる偉大な子供が生まれると。
Pai`eaの出生する場所には彗星が流れるとの予言に、王の兵士たちはその将来その王の地位を奪おうとする子を殺しに行きます。その彗星とはハレー彗星、1758年のことでした
それを察知したカメハメハ1世の母、Keku‘ī‘apoiwaは、なんと!産気づいてから、カヌーに乗ってこっそり兵士たちに捕まらないように逃げていくのです(さすがに自分でカヌーを漕いで移動したわけではないようです。専門の漕ぎ手さんがいらっしゃったようですよ!)
もう、今にも生まれそう!という時になってですよ。我慢に我慢を重ねてたどり着いた場所がこのKokoikiという場所。
ノースコハラにあるその場所は訪れる前日、雨が降っていたようでものすごい大きな水溜りが舗装されていない道にいくつも横たわっていました。車ではもう入っていけないと判断した私たちは、ここから徒歩でKokoikiを目指すことに決めます
Inuwaiと呼ばれる水を巻上げるような乾燥した強い海風にさらされながら長―い道をひたすら歩いて移動します
途中、美しい海が右手方向に広がっています
Keku‘ī‘apoiwaはこの海をカヌーで渡ってきたのか・・・と思いを馳せながら。
やっとヘイアウの四角い角までたどり着きました!
登っちゃだめ!の禁止看板が
岩で囲まれたその地、Kokoikiについにやってきました
着いたー!
正面の看板には
Kamehameha Ākahi `Āina Hānau
と書かれています
カメハメハ1世生誕の地!
この場所には生誕時のままにしてあるという岩がいくつも転がっています
またここでカメハメハ1世の生誕にまつわるオリを唱えます(暑い・・・長い・・・)
さて、次はその近くにあるMo‘okiniというヘイアウにも立ち寄ります
Pai‘eaが生まれてすぐに生誕の儀式を行ったとされる場所です
その後、Pai‘eaはHālawaとかWaipi‘o Valleyなどに匿われて幼少時代を過ごします
さて、このMo‘okini HeiauはTahitiからやってきたKahuna(祈祷師)のPā‘aoがハワイに来て新しい信仰の形、儀式を持ち込んだのですが、その西暦480年ごろに建造されたといわれているハワイ島最古のヘイアウであるようです。
このヘイアウの岩もPu‘ukoholāと同じく14マイル離れたPololū Valleyから運ばれてきたようです。
下に落としたら、その石はその場に放置されていた模様。その放置された石がMo‘okiniとPololū Valleyの道すがらに置かれている跡が確認できているそうです
私たちがこのMo‘okini Heiauの前でウロウロしていたら、そのヘイアウが一望できる高台にあるおうちから1人の女性が出てきて私たちの元にやってきてこう言いました
「あなたたち、ここで何してるの?」
「どこから来たの?フラを勉強してる?あなたたちのクムフラ、そしてそのクムは誰?」
・・・”(-“”-)”
やっと話が通じたところで、彼女はこのヘイアウを守っている番人のような役割の人だということがわかりました。大人数でやってきて、このヘイアウに危害を与えるかもしれない不審者かと思われたのでしょうか・・・
まあ、警備員もいないこの自然の中にあるヘイアウを守りたい気持ちもわかりますから致し方ありません
さて、このヘイアウはいわゆる、Luakini(人身御供)タイプのヘイアウです
ここからはちょっと刺激が強いお話しになるので心臓の弱い方は4-5行読み飛ばして下さい。
ヘイアウの前にある大きな岩の上にいけにえを乗せて、皮(肌?)を剥いだといわれています・・・Σ(゚Д゚;
(その岩、恐ろしすぎて写真に残せませんでした(-_-;))
その名もPōhaku Holehole Kanaka(stone for stripping human)と言います
使い終わったいけにえの骨は魚釣りのフックに使われたと言われています
昔のハワイのKauā階級に生まれなくてよかったーと思いながら、またここを後にします
ちなみにここのヘイアウも岩がうず高く積まれていて、中も見ることができませんし、中に入ることもできません。
ここから天気のいい日は隣のマウイ島が見えるそうです
このヘイアウを後にし、しばし車を走らせKapa‘au地区にあるカメハメハ1世像を見に行きます
この像はイタリアで作られ、ハワイに船で運んでいる最中にフォークランド沖で喪失。本当はイオラニ宮殿前に置かれる予定でしたが、船で沈んでしまったため、2体目をオーダーしているうちに海底から引き揚げられたといわれている像です。
そしてその1体目はこのカメハメハ1世生誕地の近くに置かれることになりました。
2体目はイオラニ宮殿前にあります
このオリジナル像は、ヒロにあるカメハメハ像やホノルルにあるカメハメハ像と違って、マントと帽子の部分が黄色で、タスキ掛けにしている帯は羽で作られた高貴な人物を象徴している黄色と赤になっています
そして、やっとコハラ地区の一番端、Pololū Valleyにたどり着きます!!
Kohala地区のPololū ValleyからHāmākua地区のWaipi‘o ValleyまではNā Pali Ku’i ‘Eiwa o Kāne(カーネの9つの崖)と呼ばれる9つの崖がこの2つの地点を分けています。
なんて美しいんでしょう・・・
とため息をつきながら、車を降りようとすると、隣の車の大きな男性が車に乗り込もうとしています
「Oh, Japanese Halau!」
とかなんとか言われて、どっかで見たことあるような・・・と思っていたら、カマカケハウさん(マウイ島出身のミュージシャン)とそのお友達の一行ではありませんか!!
偶然の出会いにびっくりしながらも、ここで1曲演奏してもらいながら、フラを鑑賞します
「Hi‘ilawe」
この9つの崖の向こう,Waipi‘oにある有名な滝のお話し。
夕日が海に沈みながらキラキラとした夕暮れ。
ここで見たこの光景は一生忘れないでしょう・・・・
こうして、ハワイ島旅行記を長い間掛けて皆さんにご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最後にカメハメハ1世が最後に残した言葉をご紹介します
E oni wale no ‘oukou i ku‘u pono ‘a‘ole e pau….
Kamehameha I May 8, 1819
Endless is the good that i have given you to enjoy
「私はもうこれ以上ないというほど自分の民の為に最善を尽くしてきた」
彼の最後の言葉、心に深く刻まれています
戦いでたくさんの人の命の犠牲は出たかもしれないけど、それは統治者として自分の私利私欲の為ではなく、すべて民衆の平和、生活の安定の為にしてきたこと。
1819年5月8日その生涯を閉じます
・・・以上を持ちまして私のハワイ島旅行記を終わりたいと思います
今回の旅は、今までのハワイ旅行の中でも忘れられない経験をたくさんさせていただきました
まだまだ私の知識が足りない部分をその出来事歴史が起こった場所で身をもって感じることができすべて私の心に刻まれています
こんな素晴らしい機会に恵まれて私は本当に幸せです!
皆さん最後までお付き合いいただきましてありがとうございました~(⌒∇⌒)
Mahalo!
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