(Hanalei湾の美しい桟橋)
・・・昨年6月の大阪モキハナホーイケ最後の1ヶ月は毎週大阪に通い、踊りやレイ、メイクの練習で頭も身体も精神も限界が近づいているのが分かった。
この辛い思いも、きっと笑って話せる日が来る。
そう信じて言うことを聞かない身体の最後の力を振り絞って集中した。
当日は午前中のリハーサルで神経を研ぎ澄まし、集中して臨んだ。
フロントラインの責任感の重圧で潰れそうだった。
リハで最後の集中が切れそうになったとき、Kumuがマイクで私に向かって何か言っているような気がした。
でもそれは、他の誰かの言葉にかき消され結局はよく聞こえなかったのが、私の中では弱いながらも確信がある。
これがKumuが私に掛けてくれる最後の言葉になるとは知らず、リハは進んでいった。
フィナーレのHalemaumauでは、なんと、あのKumuがマイクを持って私たちの踊りの為に歌ってくれた。
それを聞いた瞬間、私は踊りながら目から汗が吹き出し、ここまで頑張って良かったと心から思った。
Kumuの歌で踊るのが、私の小さな夢だったからだ。
本番がやっと終わり、ものすごい開放感の中で1週間が過ぎた。
ホーイケの練習で得たものは、私の今後にとってとても有意義なものとなり、終わったあとの充実感は計り知れないものだった。
そんな中で届いた思いがけない良くないニュース。
目の前が真っ暗になっていくってこう言うことだというのをはじめて経験した。
Kumuが病気?まさか?そういえば、ホーイケにはドクター同伴で来日していたな。
なんか悪い夢を見ているのか?
こういうときはフラシス同士肩を寄せ合い、この気持ちをシェアし合いたいところだが、そう簡単には集まれないし、日本国内では誰にも口外できなかった。
知り合いのお医者様に病気について訪ねてみた。
「年単位ではない、月で考えなくては」
いやいや、Kumuはサイキックだ。私は彼女が色んな奇跡を起こすのをこの目で見ている
Kaikeaの病気をいち早く見抜いていたのもKumuだ。まさか自身の病気がわからないなんて。
こんな状態でHulaを教えに行けるのか?生徒さんたちには絶対に知られてはならない。
とにかく、祈ろう。みんなで祈れば何かが動くかもしれない。
・・・こんな日が何ヶ月が続いた。
そんな中でも良いニュースが届くこともあった。
薬が効いて一度は寛解した。飛び上がるくらい喜んだ。
メリーモナークフェスティバルでKumuがHawaii News Nowのインタビューを受けていた。
自身の病気についての告白だった。これで全世界の人々がKumuの病気を知ることになった。
少し顔色が優れない感じがしたが、MokihanaでJaedynが初めてのMiss Aloha Hulaとなり皆大興奮だった。
発表のすぐ後、Kumuは天を仰いだ。神に感謝するかのように。
Wahine Auanaでは再び1位を獲得。Ka’i Ho’iはLa Vie En RoseをDr Keaoがハワイ語に書き直し、MeleはPalisaだった。
Moloka’i島の病気の少年がParisを訪ねる夢を見る。
Kumuの置かれている状況と歌詞の内容が重なりあい、なんとも言えない気持ちになった。
そう、私もあの流行病の時にどこにも旅行に行けず辛い思いをしていた。
Hawaiiにはよく訪れていたけど、それ以外の場所にも行ってみたかった。
この辛い状況が終わったら、行ってみたい所に旅行しよう、Franceに行こう!と心に決めていた。
そんな偶然もあり、9月にはParisに旅行するつもりでいたが、他の予定と重なり行けなくなった。
その代わりに何か思い出に残るものを手元に置いておきたいと思い、8月のFrance展にて購入したのは。ガールズ達の衣装と同じ色のピンクのかごバッグ。
一目惚れして買ってしまった。
後にBreezeになぜ衣装はピンク色なのかを訪ねたら、Parisは夕日のイメージが強いので、夕暮れ時のPink色を選んだのだそう。
体調の優れないKumuは来日できないため、毎月あったZoomのワークショップには欠かさず参加した。
7月だったと思う。画面越しのKumuは日本語で「Kumuは痛い」と言っていたのが気になった。
JeslieがKumuはお風呂に毎日入るのが習慣となっていると話していたのを聞いて、私のお気に入りの温泉の元を送ろうと決めていた。
9月の終わりにNā Po’okelaという横浜で開催されたフラショーにガールズ達がやってくるので、そこで渡そう。なんとか元気になってもらいたい。
そうだ、手紙を書こう。
Nā Po’okelaでBreezeに渡すことが出来た。
Jennyさんに会ったので「Kumuの様子はどう?」って聞いてみた。
あまりよい返事は帰ってこなかった・・・
横浜から帰ってしばらくたったある日、一番受け取りたくなかった知らせがやってきた。
目の前が再び真っ暗になり、立っていられなかった。
正直言うと、ずっと祈り続けていた。
「Kumuが身体の痛みの苦しみから一刻も早く解放されますように」
早く痛みから解放されると祈ったものの、それはとても辛い現実だった。
ちょうどそのときに親友たちがうちに遊びに来ていた。
彼女たちがいなかったら私はどうなっていただろう。
この1年と数ヶ月、泣いて泣いて泣いて、目の縁が切れそうになるくらい泣いた。
10月のとある日曜日、ZoomでBreezeからKumuが天国に召されたとMokihana Iapanaのメンバーに連絡があった。
Kumuと一緒に歩んできた私のHula人生。10数年ではあったけど、彼女が私に与えてくれたのは知識と安心感。
彼女がいてくれるから、私は正しいことができるんだ。
この正当性を失うのは本当に辛い。
今までフラシスを何人か失い、Kumuまで私の元からいなくなってしまうのか。
これからその度に悲しい思いをするのかと思うと、胸が痛い。
でもいつまでも悲しんではいられない。Kumu Breezeの元で私の新しいHula Lifeが始まる。
Kumu Leināʻalaが私たちに注いでくれた愛情を忘れない。その愛情をもっと大きくして私の生徒達に注いでいく。
今頃、天国で大好きなご両親やKumu Raeとの再会を喜び合い、今までの人生をお祝いするパーティでも開いて祝杯をあげていることだろう。
最後に。
Kumuに渡した手紙の一番最後に記した言葉は、先日暗殺されたCharlie Kirkが妻のErikaに土曜日の度に渡した手紙の一節を少し改変、引用した。
’’How can I better serve you as a haumana”
(どうしたらあなたをもっと良く支えられる生徒になれる?)
Kumuと交わした言葉一つ一つを思い出し、これからの長い道をあるいていこう^^
(世界一美しいKekahaの夕日。Ni’ihau島が遠くに見える)
Mahalo!
C








